月刊公論 夢枕獏 VS 鈴木弘之 ①


「月刊公論 2016 December」にて

作家の夢枕獏氏との対談記事が連載されました。

以下、月刊公論より対談記事を抜粋


「信じて進むプロデュース力」


夢枕:今日は2年ほど前に東京芸術大学の松下功先生のご紹介でお会いして以来時々お会して

   いるジュンココシノ代表取締役の鈴木弘之さんですが宜しくお願いします。

鈴木:こちらこそ宜しくお願いします。

夢枕:松下先生から、いきなり「鈴木さんの書いた小説を基にオペラの台本を書いて欲し

   い」と言われたのが最初でしたね。それで驚いたのは、どうやってオペラを実現させ

   ようかと言うときに、今、政府のどういう機関がどういった文化事業をやっていて予

   算がどれくらいあるかということをご存知で、そこからどのような協力が得られるか

   、というところからイベントの中身を立ち上げていくので、私たちと全然違う発想で

   物事をプロデュースしていく方なんだなと感心しました。今日はコシノジュンコさん

   をずっとプロデュースしてきた鈴木さんに「プロデュースの心得」を伺いたいと思い

   ます。

鈴木:心得ですか。笑

夢枕:例えばコシノジュンコさんのプロデュースは戦略的にどんなことがありましたか?

鈴木:我々はパートナーです。パートナーにはやりたい事がいろいろあって、それを経済原則

   にのっとりながら具現化していく、要するに予算はどうするかということです。ベース

   はファッションショーで、ファッションショーというテーマに向けてものづくりをして

   いくというところが想像の発露になっています。

夢枕:「いつでもいいから何か書いてください」と言われると力が抜けてダメなんです。

   締め切りがあったほうがいい仕事をするんですね。

鈴木:「山」ですよね。その「山」をどう設定するかです。1975年に結婚して今年で41年、

   「喧嘩はしないんですか」ってよく聞かれますが、共通の目標に向かっているので喧

   嘩をしている時間がないんです。ジュンコさんの創ったものをできるだけ良質なお客様

   に、できるだけ素敵な場所で、できるだけお金をかけずにセットしていくということで

   しょうね。

夢枕:今だからこそ出来ることがいっぱいあると思いますが、初めてパリでショーをなさっ

   たときのご苦労などをお伺いしたいのですが。

鈴木:私は今は68歳ですが、振り返ってみると20後半から30代に、とても出来ないことをや

   っているんですね。

夢枕:そうですよね。

鈴木:あの頃は、何も考えないでやっていけました。正直、この数ヶ月ですがあの頃が懐か

   しいですね。

夢枕:知らないから出来たのかもしれませんね。

鈴木:当時のことを考えると、自分でもビックリします。今でこそ経営的に今期だ来期だと考

   えていますが、あの頃は何も考えてなくてね。

夢枕:精神的な何かで乗り越えていたんでしょうね。

鈴木:年に2回、パリコレのファッションショーがあったのですが、経営的な知識が乏しい時

   代に「何とかなるだろう」で20年ぐらいやってきました。勿論、その都度その都度、

   採算は取れているんですが将来に対する不安はなかったですね。江戸っ子みたいな感

   じで、それは若さだったのかなと思います。でも今は高齢化社会とか、一方ではこんな

   に生きてきたんだからいいじゃないかと。

夢枕:原動力はやっぱり若さなのかもしれませんし、何があってもこの人を世界のトップに

   押し上げていくという使命感だったのかもしれませんね。

鈴木:面白いのは、自分のためじゃなくてこの人のために命を落とせるかという事かもしれ

   ません。

夢枕:ちょっとすごい言葉ですね。

鈴木:自分の事じゃなくて、人の事をするのは好きですね。

夢枕:私も自分の事だと頼みにくいですが、他人の事は割合と頼みやすかったりします。パリ

   コレに初めて出たとき、最初から勝算があったわけではないんでしょう?

鈴木:「信じる」、才能を信じるってことですよね。

夢枕:コシノジュンコさんの作品の一番の魅力はなんだったんですか?

鈴木:結婚したときから、ジュンコさんはジュンコさんのバリューを持っていましたし、実

   力もある。二人がそれぞれにやるよりは、片方が後押しをした方が進むでしょう。シ

   ングルスでは勝てないけど、ダブルスなら金が獲れるんじゃないか、というような感

   じですね。

夢枕:鈴木さんの裏方にまわるフットワークというか、重心の移し方がすごく上手でいいコ

   ンビだなぁと思います。

鈴木:「重心の移し方」っていい言葉ですね。

夢枕:本当に上手にジュンコさんを立てて裏方に回って、裏方のラスボスみたいな気配が漂っ

   ているところが凄いと感心します。

   鈴木さんが「蝶々夫人」のその後を題材にした小説「桟橋の悲劇 Yuki e Maria」をお書

   きになって私はそのオペラの台本を書いたわけですが、松下先生の作曲が済んでない

   んですよね。この時も、鈴木さんは「順々に何かをやりながら盛り上げていきましょ

   う」とおっしゃいました。そしてサロン的な集まりを先日一回やりましたよね。あれ

   はあれで一つの完成型として楽しめるものになっていたと思います。

鈴木:ゆっくり手塩にかけていく事がいい。例えば、金メダルを獲ったアスリートのドキュ

   メンタリーで、その金メダリストが苦労をしていればしているほど、我々視聴者は金メ

   ダルの重みを感じるところがあります。やっぱり人情かなと思います。

夢枕:いきなりではなくて、出来上がっていく過程を、周囲の人たちに見せていく。

鈴木:幸いに獏さんとの出会いがあって、こんなに素敵な台本を書いていただけています。私

   の作品は「蝶々夫人のお葬式」からスタートしていますが、そこまでに100年以上

   のヒストリーがあるので、1年や2年、10年でもあまり問題ではありません。

夢枕:オペラに出来ないかという「桟橋の悲劇 Yuki e Maria」は14年前ですね。

鈴木:えぇ、2002年にサッカーのW杯があった時に、チョン・ミョンフンさん指揮による日

   韓芸術交流オペラ「蝶々夫人」の公演が文化庁の支援であるということで、衣装デザイ

   ンの依頼が藤原歌劇団からありましたが、登場する日本人の役柄だけをということで

   した。勿論蝶々夫人の着物も含めて。演出家のロレンツォ・マリアーニとの打ち合わせ

   にフィレンツェまで行きました。そして、観客ではなく製作者側から「蝶々夫人」に関

   わることから、例えば子供の髪は金髪、目はブルーとか、小道具に星条旗を持たせる

   とか、深いところの知識がつきました。客席で歌声とストーリーを追うのと違って、完

   全に原作に入り込みましたね。結果的には、日本の純粋な女性が騙される結果となっ

   たわけで、日本男児としてはこのままでは許せないなぁと。

夢枕:そのお話は何度か伺ったことがありますが、日本男児としてというのは冗談半分本気

   も半分ですか?

鈴木:そうです。悔しいというのは原動力です。冒頭のパリでのファッションショーも、やっ

   ぱり悔しい気持ちがありました。自分のパートナーがドメスティックで、アジア大会一

   位ではなくオリンピックで一位を獲って欲しいというのは、ある種の悔しさがあるか

   らです。当時新国立劇場でしたが男性はブラックタイ、女性はドレスというような時代

   でしたね。

夢枕:行くだけで一つの大イベントですからね。客としてお金を払って行くのに、スーツも

   作らなきゃ、みたいな。

鈴木:当時、オペラのチケットは三万円とか五万円です。私たちはファッションショーをする

   際、お客様に招待状を送るという作業をします。「蝶々夫人」の衣装が出来て、チョ

   ン・ミョンフンさんとオペラをやりますという時に、ボーッとしていたらあっという

   間に終わってしまいます。オペラの衣装なんて自分がやりたいといってできる事ではな

   いので作品の発表として捉えれば、お客様にご案内を出して来て頂くだけではなく、

   その後のディナーも考えたんです。

夢枕:ディナーパーティーですね。

鈴木:おそらく、あの時は七万円か八万円だったと思います。当時の都内のホテルで最もステ

   ータスがあったのは新国立劇場から800mぐらいのところにあったパークハイアットで

   す。

夢枕:微妙な距離ですね。

鈴木:ブラックタイやドレスのお客様にどうやって移動して頂くか考えました。結局150人く

   らいのお客様の相席もよくありませんので、黒のハイヤー30台ぐらいで、ローテショ

   ンしてもらったのですが、その時にズラッと並んだ黒いハイヤーを見てお通夜を想像

   してしまいました。

夢枕:ずらりと並んだハイヤーだと、ちょっと怖い系の人達の気配がしますね。

鈴木:「そうだ、蝶々夫人のお通夜から始まる続編はどうだろう」と思いついたんです。何か

   最初のワンフレーズが入るともう、どんどん生まれるんですね。

夢枕:これを書いたというところに、鈴木さんのフットワークの良さを感じます。それはオペ

   ラ上演まで目指そうということで書き始めたんですか。

鈴木:いやいや、そんな事は全く思っていませんでした。オペラというものはすごく費用がか

   かりますし・・・。

夢枕:びっくりしました。映画なみでしたね。

鈴木:そうですね。富豪が現れたり、スポンサーが現れたりというのを楽しみにながら、と

   いうところです。

夢枕:この「桟橋の悲劇 Yuki e Maria」を読ませていただいて、「その後」という設定が面白

   いですね。それまでの「蝶々夫人」を観た事がなく勉強したんですが、オペラ「蝶々

   夫人」ができて最初に上演されるまでにすごいドラマがあったんですね。

鈴木:知る機会というか、きっかけですよね。元の「蝶々夫人」の原作はアメリカ人なんで

   す。私もオペラの研究はあまりしていませんでしたが、どうもプッチーニのあの半音下

   がる旋律は私にとって「グッ」ときます。でも、それがなぜなのかはわかりません。

   オペラ「蝶々夫人」が出来て源を辿っていく楽しさというのがあるんです。

夢枕:小説が原作で舞台になるといので結構楽しかったですよ。日本に対する誤解も多少入

   っている小説が舞台になって、そのあとオペラになり、また大変な妨害にあったりした

   という事にも興味が湧きました。

  次回に続く





0コメント

  • 1000 / 1000