月刊公論 西岡隆男 VS 鈴木弘之 ①

現在発売中の「月刊公論 2017 January」にて

ニコンイメージングジャパンの西岡隆男前社長との対談記事が連載中です。

以下、月刊公論より対談記事を抜粋


「写真は記録だけではなく、その効用はで気づかない何かを浮上させる

被写体を撮るのではなく、その人が見たその時間を止めるのだ

カメラの性能が向上しても、作品に向き合う人を育てなければ意味がない

新鮮な場所に身を置くと、新しいものの関わりから全く別な世界を歓びがある」  

西岡:私は鈴木さんの写真のファンであり応援団のうちのひとりのつもりですよ。

鈴木:果報者ですね、私は。ニコン愛用者にはプロのカメラマンがたくさんいて、その中で

   アマチュアの私に社長が声をかけてくれるというのはすごい事なんです。

西岡:私の言葉には何の権威もないかもしれませんが、いやもう、アマチュアの域を出て

   おられると思いますよ。

鈴木:嬉しいお言葉をありがとうございます。

   私はよく「どうして工事現場に行のか?」と訊かれます。いつもは無縁なファッショ

   ンの仕事をしていますが、外では必ずヘルメットと安全帯を付け、ビルや高速道路工

   事に携わる人がいて彼らは一歩間違えれば「死んでしまうかもしれない」ところに

   身を置いている訳です。何事もなく帰ってきたときは大げさに言えば戦争に行った人

   が無事に帰って来たようで今の場所への感謝の気持ちが強くなって、とてもハッピー

   に感じられるんですよ。

西岡:そうですね。工事現場は鈴木さんの撮影現場でもありますが、そこに向かう心境と作

   品とは随分印象が違いますね。これは私の勝手な解釈かもしれませんがどちらかとい

   うとすごく美しく、構成や作品全体から受ける印象からは、生命の切羽詰まったの

   ところの行き来という精神状態での作品には見えませんねぇ。

   ニューヨークのグランドセントラルステーションの写真は鈴木さんの作品としては人

   が写っていますね。そこには、その世界に生きる命に関わる仕事をやっておられる事

   に対する共感、想いを同じくするというところが感じられます。だからこそ、他の作

   品にはない「人」の作品ができたんだろうと、今改めて思いました。

   鈴木さんの他の作品に対してコンストラクションというか、構造物が出来上がってい

   く様を見る歓び。完成したものの美しさに対する興味だと解釈していましたね。

鈴木:常に非日常ですね。今、まさに日本の工事現場とニューヨークの現場で働く人達がい

   ます。いつも行っている日本の工事現場が私にとっての日常だとすると、ニューヨー

   クの工事現場は非日常です。

西岡:どんな違いがありますか?

鈴木:日本は非常に清潔で、安全第一です。それがニューヨークではピンク色のスプレーで

   何か書いてあって、訊いてみたら「ここで小便をするな」だったんです。(笑)

西岡:という事は、そうする人がいるんですね。

鈴木:そうそう。当然設計図をやっているんですが、仕事のやり方がワイルドでその過程が

   自由なんです。写真をとっているうちに気に入ってくれてヘルメットや蛍光作業用ジ

   ャケットを「土産に持っていけ」と言ってくれたり、日本じゃありえないですよ。

西岡:日本は清潔さをはじめ、その他諸々きちんとし過ぎているのかもしれません。

鈴木:グランドセントラルの下に降りるエレベーターにイタリア人のの男がいたんですがエ

   レベーターにイタリアの国旗を貼ったり、落書きをして自分の部屋みたいになってい

   て、私にとっては非日常の被写体でグッとくるんですよね。

西岡:あの一連の写真は他の写真とは違う印象を受けました。

鈴木:正直、日本の工事現場は美しいです。

西岡:その辺りが作品にも反映されていますね。だからそれがすごく異質なんです。キュー

   バやその他、構造物あるいは工事現場の中では、ニューヨークが大きく違うと感じま

   した。あと、東京駅ね。東京ゲートブリッジをはじめと橋梁関係と、東京駅と、ニュ

   ーヨークとは違う感じがあります。

鈴木:撮影する事によって今まで気づかなかった事が浮上してくるんです。東京駅は1945年

   の空襲があり2014年に100時を迎えてリニューアルしました。結局私たちが見ていた

   今の形というのは100年のうちのほんのなんです。1914年に竣工して戦後70年の現在

   に至っています。いろんな意味で東京大空襲の悲惨さを感じますね。

西岡:私が知っていた東京駅は「こんなになっちゃった」という東京駅でした。

鈴木:結局、仮設だったんですよね。東京中央郵便局も似ています。新しく造る建物や歴史

   があって壊して造って建物には違いがあります。

西岡:そこには背景や歴史を感じながら撮影していらっしゃるんですか?

鈴木:撮影していくうちに知っていくので深みにハマるというところはありますね。東京中

   央郵便局はおもしろかったです。ご縁があって郵便局が通常運営されていた時に「壊

   す」と聞いて「壊すのなら壊すところを撮りたいですねぇ」というのがきっかけなん

   です。二度目に行った時はそれまで数千人が働いていた郵便局が空になって寂しいん

   だけど、自分が見られている気配があって、何だろうと思ったら、誰もいないところ

   で動く全く同じ時計が30箱、天井から下がっていたんです。郵便集配事業で時間と

   の戦いだったのに、ある日から見てくれる人がいなくなった時計になったという寂し

   さがありましたね・・・。

西岡:その時計は中央郵便局が出来た時からあって、ずっと歴史を見ていたんですね。

鈴木:それで脚立を持って行って、天井にある時計から見ていくという手法を取りました。

   テーマが決まったら、あとはずっと「私は時計」みたいな感じでしたね。

西岡:鈴木さんの写真に人が出ていないのは、人をいないのではなくて人の目線で見ている

   からそこには違うものがあるわけですね。つまり、自分が人間としての目で見ている

   、そういう方向性だったのですか。

鈴木:被写体を撮るということではなくて、その人が見たということで当然、時間は止めら

   れるわけです。「その時見た」けど「明日には見られないよ」

西岡:東京駅も昔からあったものを写しています。以前は見られなかった古い部分が工事に

   よって出てきて、そういう工事がなければ撮れなかったし、感じることもできなかっ

   たわけですから。 

鈴木:探検家が財宝を発見したようなワクワク感がありますね。ちょっと黙っていれば、あ

   と一ヶ月にはこんな原風景は見られなくなってしまうから本当はもうちょっと頑張っ

   てその事実を「こんな歴史もあるんだ」とメッセージしたいですね。


次回に続く


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