日本経済新聞

2017年(平成29年)9月24(日曜日)

日本経済新聞 The STYLE/Lifeに掲載されました

工事 緊張の現場を快感


「あれ、落ちてきたりしないだろうな。危ないなぁ」

10年ほど前、そんな軽口を叩きながら、鈴木弘之さんは車の中から見える工事現場を気にしていた。首都高速道路はその時中央環状線の工事中。両端から少しずつ伸ばして繋げる作業が進んでいた。金属の塊の圧倒的な存在感と不安定さ。「ぞくっとする」工事現場を、鈴木さんは写真に撮ることを思いついた。

 本職はファッションブランドの代表。デザイナーのパートナーとして、世界中で開くファッションショーを取り仕切る。中国やキューバなど「他のブランドがやらない場所でのショウに挑戦してきた」。だから人が目にも工事現場にも、何か面白いものが隠れている気がした。ショウの舞台裏を自ら撮影し写真集にまとめた経験から、カメラの腕前にも覚えがあった。首都高速から許可を取り、ヘルメットと安全帯をつけて現場に入った。工事の邪魔になるから三脚を立てる悠長な撮影は不可。案内者の後ろを遅れないように歩きながらシャッターを切る「人が知らない舞台裏を知る快感」にはまった。目の前の光景は工事が終われば消えてしまう。だが写真に収めた瞬間は自分のものにできる。「時間を止めた自分の勝利だという気分になる」

 羽田空港の滑走路整備、大手町の高層ビル建設、東京駅の復元、工事現場をテーマに定めれば、東京には無限に被写体があった。上海環球金融中心の建設や、ニューヨークのグランドセントラル駅の地下鉄工事も撮った。鈴木さんが本業で培ったセンスで切り取る写真は評判を呼び、「うちの現場を取ってほしい」と建設会社などから声がかかるようになった。これまでにまとめた工事現場の写真集は14冊にのぼる。国内外で展覧会を開くようになると、写真が持つ「伝える力」を実感した。上海で開いた写真展には3万人、ニューヨークの展覧会では10万人の来場者が熱心に写真に見入った。展覧会では東日本大震災に対する支援へのメッセージを掲示した。自分の写真を深く理解してもらえたことはもちろん、両国の人々にお礼の気持ちが伝えられたことも嬉しかった。

 最初は軽い気持ちで始めた工事現場の撮影。だが、工事を支える大勢の人々の存在、一歩間違えれば大怪我をし兼ねない環境で生まれる緊張感など、ファインダー越しに見えた風景には数多くの発見があった。現場への敬意とヘルメットを忘れずに、今日も鈴木さんは撮影に向かう。

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